最近は家に籠もりっぱなしです・・・と言いたいところですが、実は電車を使って向かう様な用事は殆ど無くなっておりますが、犬の散歩にかこつけた徒歩による徘徊や愛車を駆っての外出は買い物も含めてちょくちょく行っております。
皆様は如何でしょうか。

こんなにじっくりと自分の半生を振返れる日々も有りませんし、全てのコンサート・講習会が中止若しくは延期されたことで、無収入であることを除いては何故か物心ついてからの人生では当然経験したことの無い様な不思議で静かで快い日々を過ごしております。

報道から一日だけ全く目を逸らせた日がありました。本当に心安らかな穏やかな一日と成りました。
その日は音楽家・芸術家であることの幸せを熟々感じた日にも成りました。
慌ただしく駆け回っていた日々は「音楽家」と言う名刺を持って看板を掲げただけの「音楽屋」であった様に思えて成りませんでした。

芸術家の定義もなかなか難しいものだなぁとも感じています。
何かが出来たり、得意だったり、知識があるだけならばその定義に相応しいとは思えませんし、このことは実は以前から時々頭に浮かんでは揉み消してきたことでもありました。

無論結論は出ないのですが今私は、もしかしたら人生で初めて「芸術家に成りたい」と心から思っている様に思います。不思議ですがそれは食事をしていても、犬の散歩をしていても、孫とハイテンションで遊んでいる時も、SNSで様々な方々と交流していても、買い物に出掛けた時も、部屋の模様替えをしていても、勿論楽譜を見ていても、歌っていても、楽器に触れていても、随分と始業が遅く成ってしまいそうないくつかの音楽大学の講義の進め方を考えていても、全く練習が無くなってしまった合唱団のメンバーを思っている時も、こうしてブログを書いている時もです。

きっと芸術って突き詰めなければ見えてこない割に間口がやたらと広いんだなぁって思えるんです。

今年の6月で62歳に成る自分の余生が、はたまた音楽家・芸術家としての現役生活がどのくらいあるんだろうかと考えます。こう見えて宮澤賢治のあの有名な詩を書いた時の心境を思ったり、寺山修司や金子みすゞの詩を反芻したり、はたまたドイツリートで取り上げられた有名な歌詞、オラトリオやカンタータの歌詞に思いを馳せたりもします。そして朝の連ドラの終わり方で作者の訴えたかったことは何だったんだろうかと考えもしました。こんな時間を少なくともこの40年余り私は持たずに、否、持てずに生きて来ました。そしてもしかするとそう言う時間を持つことが今日まで自分が身に付けてきたものを活かしつつ芸術家に成ることなんじゃ無いかとも思っています。
どっかの首相以上に何言ってるんだかお解り頂けないでしょうが、少なくとも非常にかけがえのない時を持たせて頂いているなぁと、恐怖心よりは寧ろ感謝の気持ちで日々過ごしております。

私は人と直に触れ合い、語り合い、笑い合い、諸々の喜怒哀楽を共有することを「生きること」と思っています。だからそれが出来る日を一日も早く取り戻したいと願っています。
ただ「その時」を迎えた日に、自分は必ず少しでも自分に納得していたいと思うのです。


どうかまた皆様とお目に掛かれる時には仲良くお付き合いの程お願い申し上げます。
大丈夫です!! 誰だか解らなくなるほどのダイエットの予定は全くございませんから!!